八坂くんと六条くんの話(四方山・北高二年)
5000字弱のゆるいブロマンスものです。
商店街の、細く薄暗い路地が、珍しく注目を集めている。しかし、誰も近づこうとする者はいない。路地からは、ちょっとだけでいいからさ、という男の声と、嫌がる女の小さな声が混交して聞こえる。
八坂凛太郎(やさかりんたろう)も同じで、見逃す罪悪感を強く持ちながらも、足がすくんで近づくことができなかった。かといってそのまま立ち去ってしまうことさえ忍びなくて叶わず、俯いて、ただその場をやり過ごすのみ。ちらと見たところ、男女はふたりとも高校生のようだ。男のほうは南高等学校の、女のほうは西高等学校の夏服を着ている。
「あれ、どうした? 知り合い?」
凛太郎には聞き覚えのある声だった。反射的に顔を上げる。遠巻きに見ていたそこに、見覚えのある男がいた。爛々と輝く、丸くて大きな瞳。精悍さも伺える顔つきだが一見可愛らしい容姿だ。小麦色の肌には、北高等学校の夏服を纏う。そして本人はだいぶ気にしているらしい、高いとは言えないその背丈は、相手にしている男よりも頭ひとつ分は低く、女子生徒とほとんど変わらない。間違いなく、凛太郎のクラスメイトである六条司(ろくじょうつかさ)だった。
「あ? なんだおまえ」
男子生徒はすぐさま飛び入り参加の司を睨み付けた。
「彼女の友だちだけど。なにかあったの?」
司は動じることなく受け答えし、すかさず女子生徒に尋ねる。
「問題なんてねえし。おまえには関係ねーから」
「関係ある。友だちだって言ったはずだし、彼女、嫌がってるじゃん」
「は? 嫌がってねえよ。なあ」
女子生徒は何も言わないが、その代わり、控えめに首を横に振った。
「ほら。もうこれで終わり。行こう」
司が女子生徒の腕を引いてその場を立ち去ろうとすると、男子生徒は舌打ちをし、勢いよく路地を飛び出して行った。路地は非常に狭く、二人ですら並列で通ることができない。当然司たちは突き飛ばされ、壁にどんと衝突してしまった。
「だ、大丈夫ですか!」
しかし、痛がって座り込んだのは司だけだった。女子生徒がさっと近寄るのに気付き、はっとした表情を見せて、司はすっくと立ち上がる。
「う、平気です」
口早に言いつつ、ああ、かっこわるいな、おれ……と心中で苦笑いする。助けた女の子に心配されるなんて、まったく締まらない。
「それより、きみはどう。怪我はない?」
「あ、はいっ! おかげで助かりました。かばってくれたりもして……ありがとうございます。あの……」
もじもじする女子生徒を見て、司は彼女の言いたそうなことをなんとなく察する。
「おれのことは気にしないで行っていいよ。もう暗くなってきてるし……あ、さっきのやつがまだいるかもしれないし、近くまで送りましょうか」
「そんな、私の家、ほんとうにすぐそこなんです。だから、そこまでお世話になるわけにはいきません……!」
「そう?」
「はい。本当に、ありがとうございました!」
去り際に深々とお辞儀をする彼女に対し、司も軽く頭を下げて返す。女子生徒の姿が見えなくなったのを視認したうえで、ふたたびその場にどさりと腰を下ろした。
「はー、あいつめ……」
左手の甲を見つめながら溜息をつく。彼女に絡んでいた男子生徒が通う南高校は、偏差値が高いとは言えず、近隣の高校と比べて不良の多いらしいと地元で噂になるようなところだ。司が相手にした男子生徒も、制服を着崩していて、一見したところでは真面目そうだとは言えないものであったし、口調や行動も少々荒々しい印象を与える人だった。だからなんとか穏便に済んで安心したのもある。
しかし、それよりも血がにじむ患部のほうが気になった。大したことはない。あの女子生徒に言ったその言葉に嘘はないものの、壁にぶつかったとき、左手の甲に擦り傷を作ってしまって、それがじんと痛むのだ。
「怪我したのか」
影が掛かり、手元の薄暗さが増したのに気づいて、声のほうを見上げる。
「え、あれ、八坂?」
夕日が明るくてよく見えないが、なんとなく見覚えのある顔だと分かる。
凛太郎はしゃがみ込んで、司の左手を手に取った。
「痛そうだね……。少し待ってて」
自分の鞄を探り、ポーチを取り出す。水色の地に、紺色の猫のシルエットが模様としてひとつ、右下に入っている。
「可愛い」
意外だ、と思うのと同時に、ふとそうまろびでる。そして、しまった、と後悔した。そういう趣味があると彼に思われたらたまらない。
「これは母からもらったものなんだ」
照れる様子なく司の呟きに答えながら、ポーチから消毒液と絆創膏、ポケットティッシュを取り出した。司は、先ほど後悔したことを恥ずかしく感じ、取り消したいと思った。
「痛むけど、ちょっと我慢して」
擦り傷に消毒液を吹きかけると、司はびくりと身を震わせ、痛みに耐えるように全身が強ばり、顔を歪ませた。垂れていく消毒液をティッシュペーパーで抑え、拭き取り、傷にぴったり合うサイズの大きな絆創膏を貼る。ぴっちりと、綺麗に。
「ありがと……。手際がいいね。それに、いつも持ってるの? そのセットは」
「鞄に入りそうなら。よく怪我するんだ」
恥ずかしそうに言う凛太郎。
「そうは見えないな。優等生で、しっかりしてるってイメージがある」
「見た目だけはね」
くすくすと笑いながら手際よく消毒液などをポーチに片付けていく凛太郎の手を、司はぼうっと見つめた。凛太郎は、成績優秀で眉目秀麗な、周囲から一目置かれる存在だ。柔和な表情は親しみを覚えさせ、白い肌や長い手足は繊細な印象を与える。実際穏やかで、同年齢の者と比べて大人っぽい人物だ。クラスメイトではあるがほとんど接点がなく、数えられるくらいしか話したことのないあの八坂凛太郎と、一対一で、普通に話していることが、なんだか不思議なことのように感じられた。
「六条は……すごいな」
ポーチを鞄に仕舞い終えたところでぼそりと呟くように凛太郎が言ったので、聞こえていたけれど、反射的に「え?」と聞き返す。
「かっこいいよ」
そのくせ、その言葉だけははっきりと、司を見据えて言う。凛太郎は、口角を上げた唇をきゅっと結び、柔らかな、けれど自信に満ちたような笑みを見せた。
「なにがすごいって言うの」
戸惑った司は思わず頬を染め、俯きながら少し無愛想な言い方をした。かっこいい。そう言われるのには慣れていない。
「きみが現れる前から、ぼくはあの騒動を見ていたんだ。遠巻きに」
あの場に行き着いたときのことを思い起こし、まったく気づかなかったな、と思う。何人か往来で不安そうに見ている人がいたような覚えはあるが、あのふたりに気を取られ、顔などは見なかった。
「あの子が困っているのはよく分かった。でも、あんなふうに助けになんて出られなかった。……憧れる」
噛み締めるように司への羨望を口にする凛太郎の言葉には、嘘どころか、からかう様子や不用意に迎合する雰囲気もまったくないのが司にはよく分かった。だからこそ、普通に褒められたときよりも恥ずかしく感じる。
「はあ……さっきからなんだよ。照れるじゃん」
急に司の声が控え目になったので、凛太郎は声を出して笑った。
「さっきから赤くなってる。可愛いね」
怪訝な表情で黙り込んだ司を見て、凛太郎ははっと気付く。
「あ……六条は可愛いって言われるの、苦手なんだよな。ごめん」
凛太郎の暗い声音を聞いて我に返った司は、努めて明るく言った。
「別にいいよ。気にしてない」
実際のところ、さほど気になってはいなかった。
「そう? 苦手だって言ってるの、聞いたことがあるから」
司は呆れて溜息をついた。
「やっぱり聞いてるよな……あれだけ主張してれば。でもさ、普段は言われたって、別にあんまり気にしないんだよ。苦手だってわざわざ言ったりしない。だけどあいつらがあんまりしつこいからさあ……」
納得して、凛太郎はおもむろに二度頷いた。
「あれほどしつこければ、怒るのも無理はないな」
「だろ? しかも明らかにからかってるし、むかつくんだよな。だからどうしてもスルーできなくて」
そういうわけだから凛太郎の場合はまったく当てはまらない。むしろ嫌だとは思わなかった。何とも感じなかった。気のない褒め言葉として言われたり、からかう気持ちがない人から言われたときでさえ、少なからず抵抗感はあったのに。何とも感じなかったからこそ、驚いて、思わず怪訝な顔をしてしまったのだ。
「確かに、苦手ではあるんだけど……八坂なら良いよ、言っても」
「本当に良いの?」
司は深く首肯した。
「うん。八坂なら信用できる」
「なんか、いつの間にか評価が上がってる……?」
「もうメーター振り切ったよ。元から高評価だもん」
八坂に悪い評価してるやつなんていないんじゃないかと思うけど、と司は心中で呟く。あまり積極的な方ではないようだけど、気取っていないし、無意識に他者を立てることができる人だ。柔和な人柄で、男女の別なく好かれている。
「それはどうも」
凛太郎が照れくさそうにくすりと笑ったのと同時に、短いサウンドが流れた。司のスマートフォンが LINE のメッセージを受信したときの音である。
「姉ちゃんだ。ちょっとごめん」
確認すると、内容は買い物の依頼と買うもののリストだった。依頼と言っても、是非は選べない。
「帰りにスーパー寄らなくちゃ……。つか、もう五時なんだな」
スマートフォンで時間を見ると、17時のおよそ10分前である。暗くなりつつあるとはいえ、まだまだ凛太郎の顔を判別できるほどであったから、時間など意に介さなかった。おおよそ夏は終わったはずだが、まだ日は長い。
「もうそんな時間なんだ。すっかり長居しちゃったな」
「おれ、そろそろ行かないと」
「ぼくも行かないと。寄るところがあるから」
「そうなの?」
てっきり家路だと思っていたので、司は驚いた。
「付き合わせて悪かったな」
司が言うと、凛太郎は眉を寄せ、むっとした表情になる。
「なんで悪いなんて言うの。急ぎの用事じゃないし、ぼくが好きでここにいたんだから、気にしなくて良いんだよ」
「……そっか」
凛太郎の丁寧な叱り方に、労りを感じ取る。
「怪我はしちゃったけど、穏便に済んでよかったね」
「うん」
そう返事をしたとき、先に立ち上がった凛太郎が差し出してきた掌に、司はどきりとした。こういうことをさりげなく、分け隔てなく出来てしまうところに、凛太郎の人柄の良さを実感せずにはいられない。
「さっき言ってたの聞くと、助けに出られなかったこと気にしてるっぽいけど」
その手の助けを受けながら司も立ち上がり、ズボンのお尻のあたりをはたきながら言う。
「何もできなくて良かったんじゃないかと思うよ、おれは」
凛太郎は目を丸くする。そして、路地の入り口の方へ向かって歩き出した司の後ろ姿に、思わず「どういうこと?」と尋ねた。
振り向き、少し考えて、司は言葉を継ぐ。
「八坂はああいうことに慣れてないだろうし、きっとおれより酷い怪我をしてたよ。だから、良かった」
言い終えて、路地の入り口に置いていた鞄を持ち上げたとき、少し遅れて路地を出た凛太郎が言った。
「ありがとう」
和やかに微笑む彼の顔を見て、司はひどく充たされたような気持ちになった。
「でも、な~んか励ましになってないような気がするわ……」
「そんなことないよ」
(了)(2020/02/16)
八坂凛太郎(やさかりんたろう)も同じで、見逃す罪悪感を強く持ちながらも、足がすくんで近づくことができなかった。かといってそのまま立ち去ってしまうことさえ忍びなくて叶わず、俯いて、ただその場をやり過ごすのみ。ちらと見たところ、男女はふたりとも高校生のようだ。男のほうは南高等学校の、女のほうは西高等学校の夏服を着ている。
「あれ、どうした? 知り合い?」
凛太郎には聞き覚えのある声だった。反射的に顔を上げる。遠巻きに見ていたそこに、見覚えのある男がいた。爛々と輝く、丸くて大きな瞳。精悍さも伺える顔つきだが一見可愛らしい容姿だ。小麦色の肌には、北高等学校の夏服を纏う。そして本人はだいぶ気にしているらしい、高いとは言えないその背丈は、相手にしている男よりも頭ひとつ分は低く、女子生徒とほとんど変わらない。間違いなく、凛太郎のクラスメイトである六条司(ろくじょうつかさ)だった。
「あ? なんだおまえ」
男子生徒はすぐさま飛び入り参加の司を睨み付けた。
「彼女の友だちだけど。なにかあったの?」
司は動じることなく受け答えし、すかさず女子生徒に尋ねる。
「問題なんてねえし。おまえには関係ねーから」
「関係ある。友だちだって言ったはずだし、彼女、嫌がってるじゃん」
「は? 嫌がってねえよ。なあ」
女子生徒は何も言わないが、その代わり、控えめに首を横に振った。
「ほら。もうこれで終わり。行こう」
司が女子生徒の腕を引いてその場を立ち去ろうとすると、男子生徒は舌打ちをし、勢いよく路地を飛び出して行った。路地は非常に狭く、二人ですら並列で通ることができない。当然司たちは突き飛ばされ、壁にどんと衝突してしまった。
「だ、大丈夫ですか!」
しかし、痛がって座り込んだのは司だけだった。女子生徒がさっと近寄るのに気付き、はっとした表情を見せて、司はすっくと立ち上がる。
「う、平気です」
口早に言いつつ、ああ、かっこわるいな、おれ……と心中で苦笑いする。助けた女の子に心配されるなんて、まったく締まらない。
「それより、きみはどう。怪我はない?」
「あ、はいっ! おかげで助かりました。かばってくれたりもして……ありがとうございます。あの……」
もじもじする女子生徒を見て、司は彼女の言いたそうなことをなんとなく察する。
「おれのことは気にしないで行っていいよ。もう暗くなってきてるし……あ、さっきのやつがまだいるかもしれないし、近くまで送りましょうか」
「そんな、私の家、ほんとうにすぐそこなんです。だから、そこまでお世話になるわけにはいきません……!」
「そう?」
「はい。本当に、ありがとうございました!」
去り際に深々とお辞儀をする彼女に対し、司も軽く頭を下げて返す。女子生徒の姿が見えなくなったのを視認したうえで、ふたたびその場にどさりと腰を下ろした。
「はー、あいつめ……」
左手の甲を見つめながら溜息をつく。彼女に絡んでいた男子生徒が通う南高校は、偏差値が高いとは言えず、近隣の高校と比べて不良の多いらしいと地元で噂になるようなところだ。司が相手にした男子生徒も、制服を着崩していて、一見したところでは真面目そうだとは言えないものであったし、口調や行動も少々荒々しい印象を与える人だった。だからなんとか穏便に済んで安心したのもある。
しかし、それよりも血がにじむ患部のほうが気になった。大したことはない。あの女子生徒に言ったその言葉に嘘はないものの、壁にぶつかったとき、左手の甲に擦り傷を作ってしまって、それがじんと痛むのだ。
「怪我したのか」
影が掛かり、手元の薄暗さが増したのに気づいて、声のほうを見上げる。
「え、あれ、八坂?」
夕日が明るくてよく見えないが、なんとなく見覚えのある顔だと分かる。
凛太郎はしゃがみ込んで、司の左手を手に取った。
「痛そうだね……。少し待ってて」
自分の鞄を探り、ポーチを取り出す。水色の地に、紺色の猫のシルエットが模様としてひとつ、右下に入っている。
「可愛い」
意外だ、と思うのと同時に、ふとそうまろびでる。そして、しまった、と後悔した。そういう趣味があると彼に思われたらたまらない。
「これは母からもらったものなんだ」
照れる様子なく司の呟きに答えながら、ポーチから消毒液と絆創膏、ポケットティッシュを取り出した。司は、先ほど後悔したことを恥ずかしく感じ、取り消したいと思った。
「痛むけど、ちょっと我慢して」
擦り傷に消毒液を吹きかけると、司はびくりと身を震わせ、痛みに耐えるように全身が強ばり、顔を歪ませた。垂れていく消毒液をティッシュペーパーで抑え、拭き取り、傷にぴったり合うサイズの大きな絆創膏を貼る。ぴっちりと、綺麗に。
「ありがと……。手際がいいね。それに、いつも持ってるの? そのセットは」
「鞄に入りそうなら。よく怪我するんだ」
恥ずかしそうに言う凛太郎。
「そうは見えないな。優等生で、しっかりしてるってイメージがある」
「見た目だけはね」
くすくすと笑いながら手際よく消毒液などをポーチに片付けていく凛太郎の手を、司はぼうっと見つめた。凛太郎は、成績優秀で眉目秀麗な、周囲から一目置かれる存在だ。柔和な表情は親しみを覚えさせ、白い肌や長い手足は繊細な印象を与える。実際穏やかで、同年齢の者と比べて大人っぽい人物だ。クラスメイトではあるがほとんど接点がなく、数えられるくらいしか話したことのないあの八坂凛太郎と、一対一で、普通に話していることが、なんだか不思議なことのように感じられた。
「六条は……すごいな」
ポーチを鞄に仕舞い終えたところでぼそりと呟くように凛太郎が言ったので、聞こえていたけれど、反射的に「え?」と聞き返す。
「かっこいいよ」
そのくせ、その言葉だけははっきりと、司を見据えて言う。凛太郎は、口角を上げた唇をきゅっと結び、柔らかな、けれど自信に満ちたような笑みを見せた。
「なにがすごいって言うの」
戸惑った司は思わず頬を染め、俯きながら少し無愛想な言い方をした。かっこいい。そう言われるのには慣れていない。
「きみが現れる前から、ぼくはあの騒動を見ていたんだ。遠巻きに」
あの場に行き着いたときのことを思い起こし、まったく気づかなかったな、と思う。何人か往来で不安そうに見ている人がいたような覚えはあるが、あのふたりに気を取られ、顔などは見なかった。
「あの子が困っているのはよく分かった。でも、あんなふうに助けになんて出られなかった。……憧れる」
噛み締めるように司への羨望を口にする凛太郎の言葉には、嘘どころか、からかう様子や不用意に迎合する雰囲気もまったくないのが司にはよく分かった。だからこそ、普通に褒められたときよりも恥ずかしく感じる。
「はあ……さっきからなんだよ。照れるじゃん」
急に司の声が控え目になったので、凛太郎は声を出して笑った。
「さっきから赤くなってる。可愛いね」
怪訝な表情で黙り込んだ司を見て、凛太郎ははっと気付く。
「あ……六条は可愛いって言われるの、苦手なんだよな。ごめん」
凛太郎の暗い声音を聞いて我に返った司は、努めて明るく言った。
「別にいいよ。気にしてない」
実際のところ、さほど気になってはいなかった。
「そう? 苦手だって言ってるの、聞いたことがあるから」
司は呆れて溜息をついた。
「やっぱり聞いてるよな……あれだけ主張してれば。でもさ、普段は言われたって、別にあんまり気にしないんだよ。苦手だってわざわざ言ったりしない。だけどあいつらがあんまりしつこいからさあ……」
納得して、凛太郎はおもむろに二度頷いた。
「あれほどしつこければ、怒るのも無理はないな」
「だろ? しかも明らかにからかってるし、むかつくんだよな。だからどうしてもスルーできなくて」
そういうわけだから凛太郎の場合はまったく当てはまらない。むしろ嫌だとは思わなかった。何とも感じなかった。気のない褒め言葉として言われたり、からかう気持ちがない人から言われたときでさえ、少なからず抵抗感はあったのに。何とも感じなかったからこそ、驚いて、思わず怪訝な顔をしてしまったのだ。
「確かに、苦手ではあるんだけど……八坂なら良いよ、言っても」
「本当に良いの?」
司は深く首肯した。
「うん。八坂なら信用できる」
「なんか、いつの間にか評価が上がってる……?」
「もうメーター振り切ったよ。元から高評価だもん」
八坂に悪い評価してるやつなんていないんじゃないかと思うけど、と司は心中で呟く。あまり積極的な方ではないようだけど、気取っていないし、無意識に他者を立てることができる人だ。柔和な人柄で、男女の別なく好かれている。
「それはどうも」
凛太郎が照れくさそうにくすりと笑ったのと同時に、短いサウンドが流れた。司のスマートフォンが LINE のメッセージを受信したときの音である。
「姉ちゃんだ。ちょっとごめん」
確認すると、内容は買い物の依頼と買うもののリストだった。依頼と言っても、是非は選べない。
「帰りにスーパー寄らなくちゃ……。つか、もう五時なんだな」
スマートフォンで時間を見ると、17時のおよそ10分前である。暗くなりつつあるとはいえ、まだまだ凛太郎の顔を判別できるほどであったから、時間など意に介さなかった。おおよそ夏は終わったはずだが、まだ日は長い。
「もうそんな時間なんだ。すっかり長居しちゃったな」
「おれ、そろそろ行かないと」
「ぼくも行かないと。寄るところがあるから」
「そうなの?」
てっきり家路だと思っていたので、司は驚いた。
「付き合わせて悪かったな」
司が言うと、凛太郎は眉を寄せ、むっとした表情になる。
「なんで悪いなんて言うの。急ぎの用事じゃないし、ぼくが好きでここにいたんだから、気にしなくて良いんだよ」
「……そっか」
凛太郎の丁寧な叱り方に、労りを感じ取る。
「怪我はしちゃったけど、穏便に済んでよかったね」
「うん」
そう返事をしたとき、先に立ち上がった凛太郎が差し出してきた掌に、司はどきりとした。こういうことをさりげなく、分け隔てなく出来てしまうところに、凛太郎の人柄の良さを実感せずにはいられない。
「さっき言ってたの聞くと、助けに出られなかったこと気にしてるっぽいけど」
その手の助けを受けながら司も立ち上がり、ズボンのお尻のあたりをはたきながら言う。
「何もできなくて良かったんじゃないかと思うよ、おれは」
凛太郎は目を丸くする。そして、路地の入り口の方へ向かって歩き出した司の後ろ姿に、思わず「どういうこと?」と尋ねた。
振り向き、少し考えて、司は言葉を継ぐ。
「八坂はああいうことに慣れてないだろうし、きっとおれより酷い怪我をしてたよ。だから、良かった」
言い終えて、路地の入り口に置いていた鞄を持ち上げたとき、少し遅れて路地を出た凛太郎が言った。
「ありがとう」
和やかに微笑む彼の顔を見て、司はひどく充たされたような気持ちになった。
「でも、な~んか励ましになってないような気がするわ……」
「そんなことないよ」
(了)(2020/02/16)
あとがき
2020/02/25
■BLのつもりで書き始めましたが、結局ゆるいブロマンスものになりました。:)
■一人称は語り手の目線なので自然固定されるものだけど、主人公をあまり定めない描き方をするせいか三人称で書く場合、書いているうちに視点が迷子になっていくんですよね……。とりあえず調えてはみたものの、もしかしたらまだ迷子の部分があるかもしれません……。前半の数行は凛太郎、それ以降は司を中心に見るようにしています。
更新履歴
2020/02/25 展示